激流戦隊 隊員其の他名簿 |
Last Update 2005.09.26. |
ワタナベ隊長兼CEO![]() |
1994年よりカヌーを始め1997年に激流戦隊を創設、自ら隊長を名乗る。 1999年にCEO(Chin Executive Officer)に就任。カナディアンを愛し「ビール・メイソン」を自称しているが、「風が吹くと辛いから」と言って最近はもっぱらカヤックに乗っている。ちなみにダブルパドルの腕前はへなちょこ(十勝川で遭難実績)。 遠征中の飲酒が大好きで、ビールが切れるとゴールまでひたすらまっすぐ漕ぎ出す。 アリー611とファルホーク・ボイジャー360に乗る。 |
タグチ事務局長![]() |
1998年にドレイとして入隊、1999年夏に事務局長へ異例のスピード昇進を果たす。そのわりに酒が飲めない弱点を利用され、ツーリング先では常にドライバー。 元フリーライターであり、締切に追われて遠征を断念するケースも多かったが、思うところあってカタギな仕事に就職。しかし、昼夜逆転生活は継続されているようである。 アルフェック・ボイジャー415に乗る。一時期ロデオを始めようとしてライオット・ハンマーの中古艇(Gate of Toilet号)を購入したが挫折、引越に伴い廃棄処分された。 |
アラ甲府市立地球防衛軍主任![]() |
1995年カヌー開始。いきなり荒れる三浦半島で沈脱。最初は「2人乗りがいい」などと言っていたのが、いまやどっぷりプレイボートの人。 長期休暇をとりづらい職業のため、遠征にはほとんど参加できないが、長瀞や御嶽、果ては長良川まで足を伸ばして日々精進している。長良川に通い詰めたことから岐阜支店長に就任し、超遠距離通勤。しかし岐阜への出社が減ったため、2002年歌舞伎町支店長に転任する。さらに、景気も徐々に回復してきた2005年、甲府市立地球防衛軍主任に就任。 フェザークラフトKライト、何種類かのロデオボート、スクォートを所有。 |
| 激流くろ隊員 (激流IT戦略企画開発室長) ![]() |
1997年入隊。当時、激流戦隊は戦隊モノらしく隊員カラーが決まっていた。各自の乗艇の色で決まっていたため、他3人に色を取られ、彼はやむなく「ぼくはよく沈するので船底の黒色でいいです」。以降、激流ブラック隊員となる。 その呼称通りあちこちで沈しまくり、四万十川には彼の沈を記念した「ブラック淵」が存在する。 2000年以降遠征に参加していないため、2001年激流くろ隊員に降格されるが、翌年サイト作成の功により激流IT戦略企画開発室長に昇進。 ファルホーク・ボイジャー415に乗る。 |
ばい菌ニシモト![]() |
1999年ドレイとして入隊。しかし、すぐに役に立たないことが判明。忘れ物はするメシは作れない待ち合わせに遅れるなどまるでダメなのだが、たくさん沈するというだけの理由で隊員としての地位をかろうじて保っている。 2000年、大阪に戻り、なにわドレイ、ついで関西集配センター長に昇進。しかし、近年の聖域なき構造改革の波を受け、2001年に組織まるごとミートセンターに改称となる。 2004年には、度重なる隊員の警告にも拘らず隊内外にウイルスメールをばら撒き続けるという言語道断、悪逆無道、厚顔無恥、出前迅速、落書無用、てめーいい加減にしろタワケ、の大失態を犯して役職を剥奪され、「ばい菌ニシモト」と呼ばれることとなる。 フジタPE400スペリオに乗る。 |
ワタナベ激流幼年隊局長![]() |
2004年3月、激流戦隊員の高齢化にともない、平均年齢を下げるため入隊。幼年隊局長としてU21部門を担当。川での実力は未知数だが、お風呂が好きらしいということは判明している。 好物は母乳。戦隊員で酒を飲めないのは、彼とタグチ事務局長だけである。 |
タカノ居候![]() |
1994年カヌーを始める。よくあるパターンだが、野田さん本を読みソロツーリングに憧れる。初ツーリングでいきなりテントのポールを紛失し、それ以来「ポール・メイソン」とも呼ばれている。 激流戦隊の名称に反抗し入隊を拒む。そのわりに遠征には常に参加するので「居候」として扱われている。最初はカヤック派だったのだが、色気を出しここのところもっぱらカナディアン。 フェザークラフトKライトとアリー311に乗る。 |
オコシ現場監督兼名古屋駐在員![]() |
2003年北山・熊野川大遠征にて、隊長兼CEOのカヌーに同乗。隊長兼CEOの同期の輩。 陸上では自動二輪を操り、全国に出没する。気は優しくて力持ち、ハイパワーな雨男。 自艇はないが、自邸を隊長兼CEOに賃借中。 |
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